バイオフィルム Biofilms
バイオフィルムについての研究内容
これまで微生物の研究といえば、豊富な栄養条件下でフラスコ振盪培養あるいは通気撹拌培養を行い、そこで生育したバラバラの浮遊細胞を扱うことが当たり前でした。
しかし、自然界において多くの微生物は浮遊状態よりもむしろ、固体表面に付着して独自の戦略を使いながら、それぞれの過酷な環境でしたたかに生存していることが最近になってわかってきました。
固体表面に接着した微生物が形成する高次構造体をバイオフィルム(biofilms)と呼びます。[総2](図1)
バイオフィルムを形成することによって微生物たちは好ましい環境に滞留し、スクラムを組むことによって様々な攻撃から身を守っているのです。
細胞間コミュニケーションが密なバイオフィルム細胞はバラバラの浮遊細胞とは異なる遺伝子群を発現していることが最近になって分ってきました。すなわち、これまでの培養の方法では微生物本来の姿の一面を見落としてしまっている可能性があります。
バイオフィルムに関する分子生物学的研究は主として病原菌を対象として進められ、毒素生産調節や抗生物質耐性機構が解明されつつあります。しかし、バイオフィルムはヒトにとって有害なものばかりではありません。
私たちは、様々な有用微生物群および特殊環境微生物群のバイオフィルム形成機構に関する研究を通して、新しいバイオテクノロジーの開発や微生物が持つ未知の生存戦略を明らかにしてゆきたいと考えています [解13, 著4,著6,著7, 76,95].
図1.バイオフィルムの形成過程
成熟したバイオフィルムでは、細胞外に多糖類などの細胞外高分子化合物(EPS)が生産され物理的強度を高めています。また、EPS には細胞外 DNA(eDNA) も含まれていて、遺伝子の水平伝播さらには微生物の進化にも重要な役割を果たしていると予想されます。
枯草菌(納豆菌)は細胞同士が離ればなれにならないようにネバネバを作っている
わたしたちが油田から発見した枯草菌野生株 Bacillus subtilis B-1 はとても強固なバイオフィルムを形成します。
そこで、トランスポゾン挿入変異法により、バイオフィルムを形成しなくなった B-1変異株を作製しました。そしてその変異遺伝子の解析により、これまで機能未知の膜タンパク質遺伝子とされていた yacD がバイオフィルム形成に関与する遺伝子であることを発見しました。
枯草菌の標準株であり既にゲノム解析が終了している実験室株 B. subtilis 168 はバイオフィルムを形成しないので、実験室株だけを用いた研究では yacD の機能解析を行うことは困難でした。このようにバイオフィルムの視点から研究を進めることによって、21世紀の生物学の主要課題のひとつであるポストゲノム解析(機能未知遺伝子の機能解明)にも貢献できると考えられます.[解15]
図2に示すとおり実験室株 168 は平面なコロニーを形成し、バイオフィルムを形成しません。これに対して油田から分離した野生株 B-1 は起伏に富んだ立体的なコロニーを形成し、また厚いバイオフィルムを主に気液界面に形成します。(図2,図3)
気液界面に形成される微生物膜(浮揚バイオフィルム)はペリクルと呼びます. ペリクルの形成は絶対好気性微生物によく見られ、微生物が効率よく酸素を獲得する手段のひとつです。つまり、溶存酸素濃度の高いフラスコ振盪培養によって継代されてきた実験室株は、ペリクルを形成するという本来の生き残り戦略を欠落してしまっていることを警告するものです。
図2.枯草菌実験室株と野生株の比較[76]
図3.B-1 株バイオフィルムの電子顕微鏡観察
細胞外に著量の EPS が生産されています。構造解析の結果、この主成分は納豆のネバネバの成分であるポリ γ-グルタミン酸であることがわかりました。また、その生産性とバイオフィルム形成量とは正に相関していました[76]。
バイオフィルムの応用例
環境汚染物質を現場で微生物分解するいわゆるバイオレメディエーション技術(正確にはバイオオーギュメンテーション技術)では、実験室で得られたほどの分解率が得られないことが多いのですが、これは微生物細胞の定着率の低さと細胞活性の低下が原因と考えられます。
そこで私たちは、従来のフラスコ振盪培養による研究だけではなく、バイオフィルムという視点を取り入れることにより、これらの問題の解決に役立つのではないかと考えています。
実際に、ある海洋細菌ではバイオフィルムを形成することによって細胞外プロテアーゼ生産が持続すること[87]や、ナフタレン汚染土壌でバイオフィルム細胞が高い定着性およびナフタレン分解活性を有することを証明しました [95]。