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北海道大学 大学院地球環境科学研究院 環境生物科学部門 生態遺伝学分野 早川研究室 (Hayakawa Lab, Faculty of Environmental Earth Science, Hokkaido University)

スマトラの森の響き

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2020年7月6日

雑誌『モンキー』掲載
(2巻1号14-15頁、2017年6月1日出版)

スマトラ島のバタントルの森へ

 スマトラは東南アジアのインドネシア共和国にある、熱帯雨林ゆたかな島だ。2017年1月、スマトラ島をはじめてたずね、島の北部にあるバタントルという森を調査した。野生のスマトラオランウータン(※注釈:現在はこの地域のオランウータンはタパヌリオランウータンという別種に分類されている。)の生態について調べることが目的だ。

 今回の調査はボゴール農科大学のプジ・リンティ博士と、霊長類研究所の大学院生である河本悠吾君とおこなった。飛行機で北スマトラに入り、パンダンという港町で官庁の訪問や食料などの買い出しを済ませ、バタントルの森へと向かった。

 この森は低地部から高さ1800メートルの山頂まで広がっている。ふもとの村から、ちょうど山の中腹にある調査基地を登山で目指した。息を切らしながら雨でぬかるんだ山道を登った。間もなく基地に到着するというところで、フォッ、フォッ、フォーと森中に響きわたる声が聞こえた。アジルテナガザルの歌だ。さらに歩くとボウッ、ボウッというフクロテナガザルの声も聞こえた。東南アジアの森ならではの歓迎のあいさつだ。


調査基地「バタントル・リサーチ・ステーション」にて、
スタッフの皆さんとの集合写真。© 早川卓志

バタントルの森を歩く

 基地ではバタントルの調査と保全をおこなっているスタッフの皆さんが迎えてくれた。日本人が訪問するのははじめてだそうだ。今回の滞在は8泊9日。オランウータンを探しに森に入る機会は両手の指で数えられるほどしかない。毎日休まず、朝から夕方まで森に入ることにした。

 調査の基本は、森の道なき道を歩きながら、オランウータンが樹上に作ったベッドや、地上に吐き捨てたワッジとよばれる植物の搾りかすなどを探し、その周辺に座して根気よく待つことだ。そうした場所には再びかれらがあらわれる可能性が高い。

 調査初日。基地を中心に5平方キロメートル程度の範囲を歩きながら、樹上に7個の古いベッドを見つけた。ワッジが落ちているのも見つけた。初日はオランウータンの発見には至らなかったが、こうした調査を毎日続けていれば、いつか出会えるに違いないと期待できた。


スマトラオランウータンが枝葉を折りたたんで樹冠につくったベッド。© 早川卓志

 しかしベッドやワッジの痕跡のある樹々のまわりを探し続けたが、出会うことはなかった。3日、4日と時だけが過ぎていった。1月は雨季のため繰り返しはげしい雨が降る。雨の中、熱帯の森を歩き続けるのは危険だ。突然の倒木のおそれがある。河川が氾濫すれば基地から身動きがとれなくなる。残りのすべての時間を調査にあてられる保証はない。

 方針を変えて、オランウータンがみずから来たくなるような場所にねらいを定めることにした。赤く熟した果実のついたダクリディウムという針葉樹が群生している場所があった。食べにくるかもしれない。樹冠を見上げ、五感を集中させた。針葉のかげに赤茶色の長い毛は隠れていないか。枝葉を揺らす音は聞こえないか。かれらの放つ独特の体臭はただよっていないか。念入りに探した。しかし見つからない。

アジルテナガザルの歌

 滞在もいよいよ終わりが近づき、ダクリディウムの木の下で落胆していると、「歌」が近づいてくるのに気づいた。入山したその日から聞いているあのアジルテナガザルの歌だ。頭上およそ35メートルのところに、たくみな腕わたりで移動するアジルテナガザルのオスとメスのペアがあらわれた。両者はデュエットをしながら、ダクリディウムの実を食べていた。オランウータン以外の霊長類にとっても、森の果実は重要な食物資源なのだ。

 テナガザルのペアはあっという間に通り過ぎて姿を消した。森中に響くかれらの歌は依然として届き、30分近く続いた。飽きることのないダイナミックな旋律だった。はかどらない調査に対する焦燥はいつの間にか吹き飛んでいた。毎日ひたむきに森を歩き続けた今回の調査のハイライトだった。


ダクリディウム・ベッカリー(Dacrydium beccarii)の実を採食しながら、 枝づたいに移動するアジルテナガザル。
赤く熟したダクリディウム・ベッカリーの果実は、オランウータンが好む食物のひとつでもある。© 早川卓志


 結局オランウータンを発見できないまま下山したが、落胆とは違う高揚があった。下山中もアジルテナガザルとフクロテナガザルの歌に繰り返し気づいた。この目で姿を見たおかげで、森のテナガザルの存在に対してより敏感になったように思う。

 職場である日本モンキーセンターでも、このテナガザル2種を飼育している。かれらの美しい歌を聞きながら目をつぶると、スマトラの森で、空とのさかいを歌いながら跳びまわるアジルテナガザルの姿が鮮明に頭に浮かぶようになった。私にとっての大きな変化だ。

(2017年6月1日、了。サブタイトル追加。一部加筆修正)


本稿は、日本モンキーセンターが出版する雑誌『モンキー(2巻1号14-15頁、2017年6月1日出版)』に掲載されました。雑誌『モンキー』ではオランウータンなどのサルの仲間(霊長類)に限らず、多種多様な野生動物研究(ワイルドライフサイエンス)の最先端について知ることができます。公式Webサイトにて、創刊号から昨年度までの記事を雑誌形式そのままの電子版で読むこともできます(本記事も読めます)。ぜひご覧ください。

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