1. トゲネズミとは


トゲネズミとは、南西諸島の徳之島、奄美大島、沖縄島のみに生息する日本の固有種です。体一面に刺状の毛をもつことから、この名がついています。体長は8.9〜16cmと、やや大きめのネズミです。現在、生息数が激減しており、絶滅が危惧されています (レッドデータリスト絶滅危惧IA、IB類)。また、1972年より日本の天然記念物に指定されています。生息数が減っている原因としては、近年の森林伐採などによる生息環境破壊、また人間が持ちこんだノイヌ、ノネコ、マングースによる捕食が考えられます。奄美大島に生息する種はアマミトゲネズミ (英名 Amami spiny rat, 種名 Tokudaia osimensis) 、徳之島に生息する種をトクノシマトゲネズミ(英名 Tokunoshima spiny rat, 種名 Tokudaia tokunoshimensis) 、沖縄島に生息する種をオキナワトゲネズミ(英名 Okinawa spiny rat, 種名 Tokudaia muenninki) とよびます。
2. トゲ (刺) の特徴
トゲネズミやわらかい上毛にまじって、先の尖った扁平でうすい針状毛がはえています。ハリネズミやヤマアラシのように外敵から身を守るための武器、と考えがちですが、実際には少しチクチクする程度で、武器になるほどの鋭さはありません。では、なぜ「刺」が進化してきたのでしょうか?トゲネズミの刺は身を守るもの、ではなく、高温多湿な環境に適応するため、と考えられています。フワフワの皮毛では、高温多湿な南西諸島では暑くてかないません。トゲネズミの笹の葉状のうすい扁平な毛は、体温放散を促すのに役立っていると考えられていますが、具体的な研究は進められていません。(右:トゲネズミの刺)
3. トゲネズミの魅力ーX0!ー
トゲネズミは絶滅危惧種に指定され、日本の天然記念物でもあります。つまり、大変貴重な動物種であり、また、分子生物学的な研究材料としてはまったく適さないことを意味します。分子生物学的な研究を行うためには、DNA、RNA、細胞などを得るために生体材料が必要です。トゲネズミは容易に材料として手に入れることはできません。では、なぜ私たちはいたって研究がしづらいトゲネズミを対象としているのでしょうか?トゲネズミの最大の魅力、また不思議さは、なんといってもその性染色体にあります。私たちヒトを含め、哺乳類の性染色体構成はメス (女性) がXX、オス (男性) がXYであり、Y染色体をもつか否かで性が決定されます。遺伝子レベルでみると、Y染色体に連鎖するSry遺伝子をもてばオスに、もたなければメスになります。これは哺乳類共通の性決定システムです。さらに、Y染色体にはオス特異的なはたらき (精子形成など) をもつ遺伝子が存在し、オスとして生きていくために重要な役割をもっています。しかし、私たちが研究対象としているアマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミは、哺乳類としては極めて異例な存在です。アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミはY染色体をもたず、雌雄ともにXO型の性染色体構成をしており、性による染色体の差は一見みられません。しかもSry遺伝子をもちません。私たちはこの奇妙な性染色体と性決定システムをもつトゲネズミを解析対象として研究をすすめています。
4. 性決定システムの進化
Y染色体がない、Sry遺伝子もないトゲネズミ。真っ先にでてくる疑問は「いったいどうやって性を決定しているのだろうか?」ということです。なぜなら、哺乳類はすべてSry遺伝子により性を決定しており、このSry遺伝子が壊れて機能しなくなると、本来ならばオスになるはずのXY個体でも、メスに性転換してしまうからです。Sry遺伝子がないのに、性がきちんと決められている。これは、トゲネズミのゲノム中にSry遺伝子にかわる、新しい性決定遺伝子が出現している、と考えられます。私たちは、この「新しい性決定遺伝子」をみつけるために研究を行っています。
(右:哺乳類の性分化に重要な働きをもつある遺伝子をトゲネズミ染色体にFISHマッピングしたもの。ヒトやマウスなど、通常の哺乳類では通常1コピーであるが、トゲネズミではマルチコピーとなっており、染色体上の位置をあらわすシグナルが二つの座位にみられる。この遺伝子がSry遺伝子にかわるはたらきをもつか、現在研究を進めている)
5. Y染色体の行方ーY染色体は消えゆく運命にあるのか?ー
近年のヒトゲノムプロジェクトの進展により、ヒトのX染色体には約1,100の機能遺伝子が連鎖しているのに対し、Y染色体に連鎖している遺伝子は約30ほどであることがわかってきました。哺乳類のX、Y染色体はもともと一対の相同染色体であったと考えられていますが、どうしてX、Y染色体の間でこのような差がうまれたのでしょうか。その理由は次のように考えられています。相同であったXY染色体の祖先型染色体に性決定遺伝子が出現します。すると、その遺伝視座を中心に組みかえが抑制され、染色体中に有害な突然変異や反復配列が蓄積します。この蓄積した配列を排除するために欠失が繰り返され、その結果Y染色体上のほとんどの遺伝子が退化・消失したと考えられています。残された遺伝子は、雄性に重要な機能 (精巣分化、精子形成など) を担うようになり、Y染色体特異的 (雄性特異的) な遺伝子に分化していきました。Y染色体は男性(オス)から男性(オス)へと引き継がれ、まさしくオスの性に重要な機能を担うようになりました。
オスにはなくてはならないY染色体。しかし、Y連鎖遺伝子が消失の一途をたどっているとすれば、約500万から1千万年後にY染色体は消滅するという説もあります。トゲネズミではすでにY染色体は消滅し、Sry遺伝子も消失していますが、他の雄性分化に重要な遺伝子らはどうなってしまったのでしょうか。Sry遺伝子と同様に、退化・消失してしまったのでしょうか。それとも、Y染色体自身は消滅しても、他の染色体に転座することで遺伝子はゲノム中に存在し、今もなお雄性分化の役割を果たしているのでしょうか。私たちは、哺乳類Y染色体の将来を予測する上で格好のモデル動物といえるトゲネズミを材料とし、Y染色体が消失した過程を明らかにすることを目的として、研究を進めています。
6. X染色体不活性化機構の謎
哺乳類の進化の過程で、XとY染色体が分化したことにより、困った問題が生じました。それは、Y染色体が小さくなり、連鎖する遺伝子が少なくなることで、X染色体に連載している遺伝子の量が、メスはオスに比べて2倍多くなる、という問題です。我々ヒトを含め、哺乳類はこの問題を解決するために、X染色体を二本もつメスの細胞で、一方のX染色体を不活性化させ、オスとの遺伝子発現量を均一にしています。これを、X染色体不活性化機構とよびます。
X染色体不活性化機構は、すべての哺乳類がもっている機構です。この機構がはたらかないと、その細胞は死んでしまうので、哺乳類動物には大変重要な機構だと考えられています。それでは、オスもメスもX染色体を一本しかもたないトゲネズミでは、どうなっているのでしょうか?通常、X染色体が一本しかないオスや、染色体異常によるX0型個体では、X染色体の不活性化は生じません。これは哺乳類共通のルールです。トゲネズミでも同様に、雌雄間でX染色体の本数が同じため、一見不活性化機構は必要ないように思えます。私たちは、極めて特異な染色体をもつトゲネズミにおいて、不活性機構の有無、意義などを探るため、研究を進めています。
7. 奄美大島・徳之島での捕獲調査
「トゲネズミは希少種なので材料が手に入らない」と冒頭で述べました。じゃあ、どうやって研究してるの?とよく質問されます。たしかに、一般的な生物を対象とした場合に比べ、行える実験は限られてきます。DNA、RNA、細胞など、限られた量しか私たちはもっていません。ですが、2003年より森林総合研究所 山田文雄さんが中心となり、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミの生態調査および生物資源保護を目的とした捕獲調査がすすめられています。捕獲された個体は、宮崎大学フロンティア科学実験総合センターに輸送され、飼育下での繁殖が試みられています。私たちは捕獲されたトゲネズミの尾部先端を分与してもらう、また死亡個体の臓器を分与してもらうなどして、材料を得ています。
(写真上段:奄美大島での捕獲調査風景、下段:カゴ罠にて捕獲されたトゲネズミ。写真提供 山田文雄氏)
8. オキナワトゲネズミはY染色体をもつ!
アマミトゲネズミの染色体数は2n=25、トクノシマトゲネズミは2n=45で、両種ともX0型でSry遺伝子をもちません。一方、沖縄島に生息するオキナワトゲネズミの染色体数は2n=44で、一般的な哺乳類と同様に、XX/XY型の性染色体をもつことが報告されています。染色体の本数と、Y染色体の消失から、南西諸島のなりたちが以下のように推測されています。
(下図:一つの島であった南西諸島が、海面の上昇に伴い、まず沖縄島が分断され、奄美大島+徳之島でY染色体が消失しX0型が出現。さらに、奄美大島と徳之島が分断され、奄美大島で染色体の融合が高頻度に起きた)
しかし、オキナワトゲネズミはアマミ・トクノシマトゲネズミよりももっと深刻な絶滅危惧状態にあります。染色体や細胞はおろか、DNAでさえ国内外に保有されていません。そこで私たちは東京の国立科学博物館の協力を得て、博物館に保存されているオキナワトゲネズミの剥製標本および骨標本より、ほんの一部をサンプリングさせてもらい、DNAの抽出に成功しました。これは異例のことであり、得られたDNAは大変貴重なものになります。私たちはこの貴重なDNAを用いて、ミトコンドリアDNA配列を解読し、分子系統におけるオキナワトゲネズミの位置を決定すること、またY染色体をもつオキナワトゲネズミがSry遺伝子をもつのか否か、などを解析しています。
(写真左:オキナワトゲネズミの剥製標本。中央:サンプリングの様子。右:骨標本。これらはすべて、国立科学博物館 新宿分館に所蔵されている。同博物館 動物研究部 川田伸一郎博士のご協力により、提供いただいた)
RETURN で戻らない時はブラウザのボタンで戻って下さい。